05/09/2024
メディチ家の最後の男性ジャン・ガストーネ
ジャン・ガストーネはコシモ3世とマルゲリータ・ルイザ・オルレアン(フランスの王ルイジ14世の従 妹)の次男で、あまり女性に興味はなかったもののドイツ出身の貴族の未亡人と結婚しました。
その後しかしながら彼女の性格は出身国のせいかとても強情で横柄だったせいもあり、結婚一年後にパリにいた母親の元に逃げ、父親のコシモ3世に呼び戻されてプラハに滞在しますが、その後気の病に罹り、憂鬱状態になり、アルコール依存症にもなってしまいます。
父親も兄も亡くなった 後1723年でトスカーナ大公となりました。
しかし彼が大公になった時は既に公国は経済的にも危機の時代で、父親のコシモ3世が聖職者たちを優遇したり、宮殿の贅沢な暮らしを維持するために、多額の税金を課した為中流階級の人々の生活を脅かしていたのです。
政治家としては無能だったとも言われがちですが、そうではなく、トスカーナ公国の教会に対する影響を減らし、聖職者たちの援助をやめ、税金や宮廷の経費を減らしたと言われています。また ガリレオの為に立派な墓を作りました。また彼が国を治めている間には死刑は執行されなかった そうです。
彼がメディチ家の中でもっとも信頼していたのは兄の妻であったヴィオランテ・ディ・バビエーラで とても知性があり妻のいない彼のファースト・レディーのような役割もしていたわけですが、彼女が1731年に亡くなってしまうと完全に落胆してしまい自分自身を失ってしまったと言われてい ます。
そしてますますピッティ宮殿にこもるようになり、一日中部屋に閉じこもりベットから起きることなく 食べ続けほとんど体も洗わなかったため、給仕達は大公の体臭を消すために部屋中に香水を振りまいていた。などと伝えられています。
彼は女性には興味がなかったわけですが、彼の給仕であった若いジュリアーノ・ダミという男性と 親密になり最後は彼が人生の伴侶となったと言われています。最後はほとんどベッドに横たわり 給仕や女官に囲まれ1737年7月9日に亡くなりました。
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